8月6日
8月6日、朝。
テレビにて、広島平和記念式典の中継。
8時15分。黙祷。
9時、甲子園開会式。
久しぶりの、入場行進。
今年の8月6日は、日曜日だった。
小学校の登校日、平和学習は4日だった。
今年は、どんな話だったの?
と、子どもに聞くと。
先生のお祖母ちゃんの、被爆体験を聞いたよ。お母さんの、お祖母ちゃんは?
お母さんのお祖母ちゃんは、線路脇の畑で仕事をして、ひと休みをしてた時で。広島の町から、車で1時間以上離れてる距離にいて。光が見えて。大きな音が聞こえて。地面が揺れた。キノコ雲も見えたって。
そのうち、列車に乗って、火傷を負った人たちが避難をしてきて、婦人会で、手当を手伝いに駅舎に行ったり。小学校や中学校が救護所になったりして。そんな中で、遠縁の会ったこともなかった、おばさんが頼ってきたので、家で看護したって。しばらく看護したけど、亡くなったって。
救護所になってた、小学校でも、多くの人が亡くなったって。
お祖父ちゃんは、中国に戦争に行っていて。多くの仲間が亡くなる中で。終戦を迎えて、運が良くて帰ってこれた。けど、大変な思いをしたから。中国という国の風土や水が、本当に嫌で。中国なんて国は、行くもんじゃないと、言っていた。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、たまたま、戦争で死ぬことなく生きてたから。戦後、お母さんのお父さん、子どもたちのおじいちゃんが生まれて。お母さんが生まれて。子どもたちが生まれて。ここに、生活がある。
戦争を体験してる人たちが、高齢となり。戦争を伝聞でしか、語れなくなっている。日本が戦争をしないでいれることは、それはそれでいいことだけど。
直接聞いた、あの感じ。重苦しさというか。割り切れなさ。言葉にならない行間。これ、うまく、伝わらない。
伝聞が、伝聞の伝聞となり。経験することなく、生きていけることは、幸せなことだろうけど。
伝わらなくなっていくことは、きっとある。それでも、伝えなくてはいけない。
どこかの誰かの話ではない。お母さんの、おばあちゃんの話。おじいちゃんの話。本当に、あった話。遠い昔話ではない話。