子どもは、親の言葉を聞いて育つのではない。どんなにいいことを、子どもに言い聞かせたとしても。子どもは、親の行動を見て育つのだ。
そう思ったとき、自分を振りかえる。
子どもたちから見て、どんな風に、仕事にのぞんでいる、親なのかと。
自分の天職だと、思える仕事には、なかなか出会えない。いつもたまたま、引き当てたクジみたいに、仕事についた。
こんなんでいいのかな、と、思う。こんな親で、子どもは、仕事に夢や希望を持てるのだろうか。何かの仕事をしたいと、思うことができるのだろうか。就職活動を、できるのだろうか。
今の仕事が、特に好きなわけでもない。慣れないうちは、いつ辞めるかと思った。慣れてからは、人間関係がしんどくなった。割りきったつもりでも、変な疲れがたまっていく。
それでも、家で愚痴は言わない。仕事に行きたくないとも、言わない。
旦那は言う。ため息をつく。仕事が嫌だと叫ぶ。子どもが見ている。
仕事は、嫌なものだと、教えているようなものだ。
と、気になるが。行かなかったことはないので。嫌でも、生活のために、頑張るものだとも、教えている。
で、わたしはどうだ?
決して、楽しそうではない。
子どもに誇れる、生き方をしてるかと、時々問いかける。
子どもが、大人になりたいと、思える大人だろうか?
いまだに、なりたい自分を模索中。
長男には、正直に、母さんもまだ探してるんだ、と言った。
ふうん?そうなんだ。
今の仕事の中にも。何か、自分にしかできないことが、あるだろうか?
そういえば、私の父も、仕事のことは家で話さなかった。もともと、無口ではあるけど。
そういう意味では、父の背中は、追っているのかもしれない。
子どもに夢を、見てほしかったら。自分も夢を見なくてはいけない。
人生が終わるまでには、絵本を一冊描きたい。
と、長男に言った。
ふうん?
少しは、伝わっただろうか?
子どもの頃に、なりたかった自分ではないかもしれない。
でも、夢はある。将来もある。大人は、執着地点ではない。
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